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伏 鉄砲娘の捕物帳
 昨年10月映画館に見に行き、今回DVD&BD発売と言う事で2回目の視聴です。



映画公開前は一見地味なアニメ映画と見せかけて出版元が文藝だったことと、地味なキャラデザインに反して(失礼)声優好きなら誰にでもわかる豪華キャストだったこと、原作者の知名度もあって結構TVCMが流れてたのを記憶しています。今年4月上旬くらい?には、DVD発売記念イベントみたいな催しもされてたかな。結構派手な扱いですよね。
シネコンでは1番小さい所で公開だったので多大な期待を抱いていた訳ではなかったのですが、見て良かったと素直に感じました。一緒に行った連れも全くこの作品の事を知りませんでしたが、終わった後は無言でテロップを見ていました。(余韻に浸っていたと見えるw)
ただ一度見ただけでは疑問に感じる事も多かったので、DVDが出たらもう一度じっくり見たい、いや見なければ(義務か)と思っていました。それだけすっきりしないところが多かったせいでもあるんだけど。



この作品には2つの対立した要素が大きな意味を持っている。相反するものが近づき、交差していく。狩る者と狩られる者、人と犬、男と女、因と果、本家と贋作、そして「南総里見八犬伝」と「伏」と言った具合に。そして浜路の亡くなった祖父が言っていた「狩りとは獲物と繋がることだ」と言う言葉。映画の中でそれは明確にはされていないけれど、おそらく狩る瞬間、浜路の意識と獲物の生涯がシンクロするのではないかと思う(ちょっと言ってて意味わかんないけど)彼女だけが持つ特殊な能力であると言っていいのでは。
仕官するために家を出て行った兄を訪ね、浜路は江戸へと向かう。長い旅路の果てようやくたどり着いたそこは人がごった返す都だった。字も読めない浜路は兄道節が住む場所もわからず途方に暮れていた。そんな彼女の前に現れたのは信乃と言う青年。彼こそが今江戸中を騒がせている「伏」の最後の生き残りだったのだが、江戸に来たばかりの浜路はそんな事は知る由もない。
この派手にぶつかって出会うシーンがまさに「ボーイミーツガール」って感じで、信乃との関わりが「狩る者」として生きてきた浜路の世界を大きく変えていく。

兄が自分を江戸に呼んだのは「伏狩り」のためだった。侍を志して江戸へ出てきたものの、未だに燻っている日々を送っていた道節は、伏を狩って手柄を立て名を上げようと考えていたのだ。二人がやってきたのは遊郭街吉原。初めて見るその美しく退廃的な街に浜路は戸惑いを隠せなかった。道節が遊女の誘いに乗っていなくなってしまった後はどうしていいのかわからないまま別の遊女たちに捕まってしまう。そこへ「ある女に言わなきゃいけないことがあって吉原に来た」と言う信乃と再会する。

吉原の表と裏。光と影。ここでも相反するものが出てくる。信乃はお歯黒どぶに纏わる遊女たちの悲しい物語を話して聞かせる傍ら、この間の礼だと言って浜路に美しい着物をプレゼントする。このシーンはすごく好き。浜路が初めて自分の中の女性を意識する時でもあるし、着付けてもらった浜路を見て思わず信乃が顔を赤くする所とか、付き合い始めのカップルかよとか思ってしまう。気づいていないだろうけど、浜路はもうこの辺から信乃の事を意識していたのかもしれないなぁ。

信乃と別れ、無事兄と合流できた浜路は、遊郭一の太夫凍鶴が伏であると見抜く。お練りの時道節が強引にやらかしたのが原因なんだけど、この兄ちゃんやること成すこと裏目に出る人。しかし今回は浜路のおかげで一発逆転の大チャンスとばかりに正体を現した凍鶴を追う。(話の展開もかなり強引だったけど)
浜路に肩を打ち抜かれながらも、逃げる凍鶴。お歯黒どぶに追い詰めた浜路。2人の人生が一瞬繋がって離れる時。浜路は凍鶴から自分の首と引き換えに、一通の手紙を託される。

追いついた道節が凍鶴の首を刈った事で、「伏狩り」とは何であるかを思い知った浜路。あの鼻血の意味は未だによくわからないんだけど、知恵熱みたいなもの?w
かつて祖父が言っていた「繋がる」と言う事。浜路にはあの時凍鶴の辿ってきた生涯が見えたのだろう。
なのに浜路は「あいつとは繋がったはずなのにあいこにならなかった」と道節に言う。この「あいこ」と言う意味が未だによくわからないままなんだけど…多分繋がった=理解したみたいな感覚なんだろうか。あの日から浜路の様子がおかしいと気づいていた道節は「今後の伏狩りは別行動にしよう」と言い出す。
一方凍鶴が狩られ、独りになってしまった信乃の暴走は止まらなかった。浜路といる時でさえ、生珠を食らいたい衝動が彼を襲い、衝動に任せて人を殺す日々。人と犬の境目も徐々に曖昧になりつつあった。

ある日、浜路は街で自分の伏退治を面白おかしく描いた瓦版を見かける。発行した主は自分と同じ年の滝沢冥土と言う名の少女だった。絵が余りに自分と似ていないので憤慨する浜路。
映画の始めに出てきたように、冥土は小説が書きたいのに書けない。それは祖父である滝沢馬琴に対する反抗から来ているのだけど、偉大な本家に対抗しても所詮二次創作にしかならないとどこかで諦めているからでもあった。
ただ、冥土はある意味ディープなオタクだと思うんだよねwそういう目線から見ても面白いキャラだったし、浜路との友情は見ていてほのぼのした。浜路が「殺さずに繋がった」最初の相手でもあるしね。

いくつもの出会いを重ね浜路も冥土も、道節の子を身ごもった船虫も、やってくる変化に戸惑い恐れる。道節の「素直になれば変わることは怖くない」信乃の「受け入れろ、怖くなくなる」と言う言葉はそんな女たちの背中をそっと優しく押す。
そんなある日長屋に深川一座の者が、芝居の札を持ってやってくる。今大人気だと言うその芝居の題目は「南総里見八犬伝」と言った。舞台に立つ伏姫が客席の浜路に囁く。「芝居が終わったら、裏の神社で待ってて」その声は紛れもない信乃のものだった。

しかし、浜路が暴漢に襲われた時、信乃は躊躇いもなく相手を殺して生き珠を引き摺り出し、彼女の目の前で食って見せた。狩られ続けてきた伏の最後の生き残りは信乃だった事を知った浜路は、その場で仕留めるどころか立ち尽す事しか出来なかった。そんな浜路を嘲笑うかのように信乃は去っていく。
初めて思慕を抱いた人が伏であった事、その仲間である凍鶴を狩ったのは自分である事、一気に押し寄せてきた真実に対して浜路ができた事はただ泣く事だけだった。何のために涙が零れるのか、彼女自身もよくわかっていなかったのかもしれない。獲物を狩れなかった情けない自分に対してか、孤独な信乃を思っての事なのか。人間色んな事が一度に起こるとパニくるしかないんだけど、はっきり描写されている訳ではないので不完全燃焼っぽい。

熱を出してある家の軒下にうずくまっていた浜路を見つけたのは、偶然にも冥土の母お路だった。目を覚ました浜路は冥土に凍鶴の手紙を渡し、読んでくれるよう頼む。この凍鶴が息子である親兵衛(すでに狩られているが凍鶴は知らない)に宛てた手紙の中味を知った浜路は、冥土と繋がる事が出来たように、信乃ともきっと繋がる事が出来ると思えるようになる(んだと思う)

時の将軍家定は最後の一匹になった伏をおびき寄せて狩るため、江戸城で祭りを催す事を家来に命じる。深川一座も催しに呼ばれるが、家定の家臣に取り囲まれた信乃は伏の本性を現し、家来たちに襲い掛かる。
一方浜路は信乃から贈られた着物を船虫に着付けて貰い、道節からは「殺すな。あいこにしろ」と言うエールを貰って江戸城へと向かう。ここで出ていた「あいこ」と言う意味は多分「繋がって理解して来い」と言う事だと思える。(正直話が飛びすぎててわからんw)
浜路がわざわざ信乃に買ってもらった着物に着替えて行こうとした所が重要で、ただ狩りにいくのではない事を示唆している。

「どちらが贋い物かはっきりさせる」ため、妖刀・村雨丸の力を借りて江戸城本丸で信乃を待つ家定。口癖でもあった「贋い物は駆逐します。贋い物は駆逐します」と言う呪いのような言葉は、凡庸な形ばかりの将軍である自分をも贋い物であると思い込んでいた節がある。それを払拭する事で自分は真実の将軍になれると妄想していたのだろう。
本丸に現れた犬の姿の信乃を、家定に乗り移った里見義実が迎え撃つ。長く続いた伏姫と8匹の伏の因果を断ち切るための戦いは、娘を犬畜生に奪われた父の積年の恨みでもあった。しかし「偽物でも必死に生きてりゃ本物」と叫ぶ信乃の思いが勝つ。

全てが終わったと悟った信乃が本丸から身を投げた瞬間、追いついた浜路は間一髪でそれを引き止めた。「ずっと俺と繋がっていてくれるか?」と問う信乃に「我慢できなくなったら私を食べていいから」と答える浜路。道節の言った「あいこ」とは両思いって事だった訳ですね。浜路なんか「好きよ」とちゃんと口に出しているしな。

て言うか、お前ら一緒に暮らせよもう

って思った人多かったんじゃないのかと思うんだけどー。

繋がった信乃の喜びからか、火事になっていた江戸の街に雨が降り注ぐ。涙雨と言うやつですね。
一年半後、浜路は字が読めるようになり信乃と文通しているらしい。

て言うかお前ら一緒に暮らせってもう(二度目)

浜路に読み書きを教えた冥土は、鉄砲娘・浜路と伏・信乃の物語「贋作・里見八犬伝」を書き上げる。
祖父馬琴が「伏を正義にしようと書き続けてきたが、いくら書いても読本は所詮贋い物にすぎなかった」と涙しながら言った事を、冥土なりに形にしたいと思ったのかもしれないですね。ただし恋愛色が強くなるかもしれないけどw

唐突な展開でかなりストーリーが飛ぶので解釈に難儀しますが、信乃と浜路と言う軸はブレないのがいいですね。最後にはヒーローとヒロインが入れ替わっていたような気がしますが(笑)違和感なくまとめてあると思います。ただ何度も言うけど、尺が足りてないのが本当に惜しい。原作はかなり分厚いし、2時間足らずの映画では描ききれないものの方が多いのは承知していますが…セリフも間も描写も「この前に何か抜けてないか」みたいなすっきりしないものがあって、酷くもどかしかったですね。

映像は素晴らしい出来だと思います。特に吉原の描写が煌びやかで(あの時計塔の女体はどうなんだ…)その裏にあるお歯黒どぶのような退廃的なものもちゃんと描かれている。花魁たちも王道スタイルでありながら斬新な一面もあるし、江戸城はれっきとした日本の城なのに概観がヨーロッパのお城のようにすっきり見えるのが不思議です。
ストーリーを通して花が途切れないのも、何か意図する所があるのでしょう。ストーリーの中で流れる牡丹の花をバックに逃げる信乃、それを追いかける浜路の描写は確かに「狩られる者と狩る者」をイメージしていて好きです。
製作に2年を費やしたと聞いて、なるほどなぁと頷いてしまいました。あと、食べ物が皆美味しそうに見えてお腹が空きましたw監督の宮地昌幸さんはジブリの宮崎監督の下で働いていらしたそうで、あのリアルさはそこから影響されているんだろうか。
音楽はタンゴを基調にしてるのかな。ミスマッチそうなのに、こてこての江戸時代ではなく現代色を混ぜ込んだ作画に合っていたと思います。

最後に。声優陣に関しては文句のつけようがありません。主役2人に芸能人を使っていたら多分見なかったと思う。
最近2.5枚目なイケメンキャラを演じる事が多い宮野さんですが、野性味溢れる伏と優男な信乃を見事に演じ分けています。また、信乃の敵役である馬加に神谷さんと、実に俺得な配役です。(そこかよw)
女性キャラ陣もよかったんですが、charaさんは余りに棒でちょっとな…正直主題歌だけでよかったよ…
男前な宮野と、べらんめぇな神谷が聞いてみたい方は是非お勧めします(声優的な意味で)

ストーリーを纏めるために何度もDVDを一時停止しながら書きました。おかげでとんでもなく長い記事になってしまいました、はい。
有妃 | 映画、舞台 | - | -
Les Misérables


見てきました〜

ミッドランドシネマの優待券を貰っていたのは大きかった。1番大きなシアターで上映されてました。3分の2くらいは埋まってたんじゃないかな。
ミュージカルを元にした映画なので、セリフはほぼメロディ仕様です。もちろん吹き替えにしたらものすごく間抜けなので字幕のみです。



さて何から語ろうかと思うのですが、何かもういっぱいいっぱいでですね、演技も歌も演出も素晴らしすぎた。
ラストシーンのフォンテーヌはマグダラのマリアなんでしょうかね。髪を売って体も売って、その後で歌う「I dreamed a dream」がまた素晴らしくて!歌詞は絶望的なほど悲しいのに、逆にその姿がとても神々しかった。ずっと定点カメラだったのもよかった。ロングヘアも綺麗だけど、ショートにすると目の大きさが際立ってまた綺麗。「アリスインワンダーランド」の時の白の女王もふわっふわで別のオーラがありましたが。
死の間際にジャン・バルジャンを迎えに来るのが肉親でも誰でもなく、フォンテーヌだと言う所が何らかの暗示なんでしょうか、雇い主と雇われた方と言う形で偶然にも出会ったけれど、バルジャンのせいでフォンテーヌは悲惨な生活に落とされ、それを知ったバルジャンに助けられ(た時点で彼女の人生は終わろうとしてたけど)自分の愛娘を託す事になった。ある意味それは家族であって、結婚と言う形を取る事はなかったものの、1人の人間を立派に育て上げたことで彼らは繋がっていた訳ですね。

ジャン・バルジャンが仮釈放になった時から彼を執拗に追いかける警察官ジャベール。彼も囚人の子と言う生まれで、所謂どん底から這い上がった人間ではあるけれど、貧しいが故に施しを求める境遇の人間には酷く冷たい。むしろ軽蔑していると言ってもいい。始まりのシーンで船を引く囚人たちを見る彼の目は侮蔑とか哀れみを越えて怒っているようにも見える。
自分の中にある正義を信じ、ジャン・バルジャンを再逮捕する事が彼の生きる意味だったのに、瀕死状態のマリウスを抱えて時間の猶予を願うバルジャンを、彼はどうしても逮捕する事が出来なかった。葛藤に継ぐ葛藤で自分を見失ったジャベールはセーヌ川に投身自殺する。しかしあのシーンはやけに壮大だったなぁ。
ところでジャベールさんよく端っこ歩いてましたよね?いつ落っこちるかと心配してました← は冗談ですが、自分を星に例えて歌を歌っていた辺り、彼もまた孤独なのだなと思ったり。

あとですね、ガブローシュ!彼みたいな子が成長したら、アンジョルラス以上のカリスマを発揮してレジスタンスを率いるようになるんだろうなと思った。とにかく逞しくておまけに賢い!スパイとして入ってきたジャベールを一発で見抜いたのはアッパレでした。
市民の応援が期待できない事を仲間に知らせ、去りたいものは去っていいと言ったアンジョルラスに、「ABCの友」たちは全員が押し黙る。勝てる確率が一気に減った戦いを前にして動揺していない訳ではないのだけど、それでも立ち去る者はいない。ここまできて去る事など考えられない。それぞれが複雑な思いを抱いている中、ガブローシュが歌い出す。ありきたりな言葉よりもずっと色んな事が伝わってくる。
彼の体を張った最期がABCの最後の抵抗に火をつけた。仲間が次々と警官たちの砲撃に倒れていく中、アンジョラスもフランス国旗を掲げて壮絶な最期を遂げる。ジャベールがガブローシュの亡骸に自分の勲章を置いて去っていく所はかなりやばかったです(涙腺が)

エポニーヌ。何故あんなちゃらい両親の元でこんなにしっかりした子に育ったのか不思議なくらいでしたね。彼女のシーンは雨に打たれながらの「On My Own」に尽きるのですが、マリウスを庇って銃弾を受け、彼に看取られながら絶命する「A Little Fall of Rain」は叶わなかった恋心が溢れていて、ここも涙なくしては見られなかった。女優さんは実際に舞台でエポニーヌを演じた方だそうで、全て納得の素晴らしさでした。
胸にさらしを巻き長い髪を隠すように帽子を被る姿は、マリウスへの想いを断ち切るようでさえあった。

しかし、マダム・テナルディエ役のヘレナ・ボナム・カーターはホントああいう役似合うなぁ。半分頭がイッちゃってる感じのエキセントリックな女の人やらせたらこの人が一番なんじゃないか。ベラトリックスもそんな感じだったし。
何かおちゃらけてて憎めない夫婦だなと思ったのはわたしだけか。大真面目に悪党やってる、そんな感じすらします 笑 ありえない変装してマリウスとコゼットの結婚式に乗り込んできて、バルジャンの居場所と引き換えに金をせびろうとする所なんて、転んでもただでは起きんなぁwと思いましたね。

ジャン・パルジャンが天に召される(まさにこの言い方がぴったり!)シーン。彼の孤独だった魂が救われ、愛するコゼットとマリウスに看取られると言うこれ以上ない幸福な形で人生に終わりを告げた訳ですが、彼にとっての幸せとは今まで愛し慈しんで育てたコゼットを1人の女性として独立させ、愛するパートナーと未来を歩んでいける人間に育て上げた事なのだと思います。そうする事でバルジャンはコゼットの本当の父親になれたのだと。
ガブローシュが持ってきたコゼット宛の手紙を読み、二人が愛し合っている事を知ったバルジャンはコゼットが奪われてしまう事に恐怖を覚える。自分の生きがいを無くしまたあの孤独だった時に戻ってしまうかもしれないと怯えながらも、マリウスと言う青年を見極めるために学生たちの元へ向かう。
彼はそこで「ABCの会」の行動を目の当たりにして、やはりコゼットが愛した青年を死なせてはならないと思い直す。自分の人生と引き換えても若い者たちの未来を守りたいと強く願った「「Bring him home」。同時にこれからコゼットを守っていくのは老いた自分ではないと悟るんですね。
彼を生かす事がコゼットのために自分がしてあげられる最後の愛だと信じ、銃弾を受けて瀕死のマリウスを抱え泥に塗れることも厭わない。もうすでにあなたは立派な父親ですと言ってあげたかった。

そしてラスト。天に召されたバルジャン、ファンテーヌ、エポニーヌ、アンジョルラスやガブローシュたちが歌う「The People's Song」。久々に涙腺崩壊した映画でした。バルジャンが亡くなる時からすすり泣く声があちこちで響いてて、自分も暫く目の周りが強張ってる感が抜けなかった 笑

曲がどれも素晴らしかったので、サントラ買いたいなと思ったんですが全部入ってる訳ではなさそうなのでちょっと様子見です。あまぞんレビューの皆さんが仰るとおり完全版で出る事を願っています。ガブローシュが歌った「Look down 」が好きなのにな。

映画とは関係ないんだけど、平日だからなのかやたら年配の人が多くて「あれ?レミゼってこんなに年配受けする作品だったっけ?」と思いました。まぁわたしもミュージカル見た事ないので、偉そうな事は言えませんが。
上演時間が160分と長いので、途中でトイレに行く人が多い多い…しかもエンドロール流れてる途中で足元がおぼつかない中階段踏み外してこける人とかいて、明るくなるまで待てばいいのにと思ったり。

舞台も見てみたいなと思ったら、パンフの最後の方にちゃんと上演予定が。名古屋は10月ですね。S席13500円…とりあえずDVDが出てくれるのを待つ事にします。
有妃 | 映画、舞台 | - | -
ヘルタースケルター
 

7/22に見てきました。(遅っ)

トップモデルとして芸能界の頂点に君臨し、人々の羨望と嫉妬一身に集めるりりこ(沢尻エリカ)。だが、その人並み外れた美ぼうとスタイルは全身整形によってもたらされたものだった。そんな秘密を抱えながら弱肉強食を地でいくショウビズの世界をパワフルに渡り歩く彼女だったが、後輩モデルの登場や恋人の婚約などにより芸能界だけでなく、世間をひっくり返すような事件を引き起こし、徐々に精神を破綻させていく。(yahoo映画より)

原作者の岡崎京子さんは16年前事故に遭われてから未だにリハビリ中と言う事で、1日も早い御本復を心よりお祈りいたします。
話はちょっとそれますが、かつてananの読者だった頃、中尊寺ゆつこさんや桜沢エリカさんと共によく紙面でお見かけしていたのを思い出した。すでに中尊寺さんはお亡くなりになったものの、桜沢さんと岡崎さんの交流はまだ続いているそうですね。

最初に一言。笑いと叫びはよく似ている。

原作も映画もこの言葉からスタートする。まさにりりこはりりこの、りりこによる、りりこのための物語の中で美しく嫣然と笑い、そして手にしたものを失う恐怖で叫んでいた。恋人、仕事、美と全てを手に入れたりりこにとって、怖いものはもはやない。あるとすれば、いくらでも替えの効く自分と言う存在が人々の記憶からなくなっていく事、だろうか。
毎日数多くのフラッシュを浴び、笑顔を振りまくりりこ。カメラのシャッターを切られるたびに空っぽになっていくと言っていた通り、移動中の車の中から街を眺めるその顔は虚ろそのものだ。誰もが羨む美貌とスタイルの持ち主であるのに、彼女はいつも不安定で歪だった。それをネット上の画像で「一見完璧に見えてバランスがずれている」と指摘したのは、とある美容整形外科の疑惑を追う検事・麻田(大森南朋)。彼はりりこから滲み出るアンバランスさに興味を持ち、彼女の事を「タイガー・リリィ」と呼ぶようになる。

沢尻エリカはこの映画がクランクアップした後体調不良と言う事で、公に姿を見せていない。りりこの演技に未だ引き摺られていると言うのは強ち嘘じゃないだろうな、と思う。鏡の中で自分の顔に浮かんだ痣を見た時、彼女はこれ以上ない歪な顔だった。数少ない自分本来のパーツである目からは悲しみの涙が零れているのに、口許は笑っている。麻田の言う「バランスのずれている」顔だ。確かにりりこは歪んでいるなと思えるシーンだと思う。その演技が凄まじいというか何と言うか、とにかくすごい。りりこが感情を迸らせる場面はどれも鬼気迫るものがあった。

そんな強烈な主役に食われない脇役陣だけど、マネージャー羽田美智子役の寺島しのぶとママ役の桃井かおりは飛び抜けていた。羽田は原作だと20代だけど、この映画では35歳設定になっている。無職の年下彼氏奥村を甲斐甲斐しく養うような人のいい女だけに、日々をりりこにいいように翻弄されていた。気分屋のりりこに罵声を浴びせられやつあたりされまくっても羽田は、間違いなくりりこに心酔している。何かこう、目がとろんとしてると言うか、危ないんだよね。そういう女を演じる寺島しのぶがただただ天晴れ。
目の前でりりこに誘惑されあっさり寝てしまったような彼氏を見捨てる事も出来ない。それをいい事に奥村と羽田はりりこに唆され、やがて犯罪に手を染めてしまう。面白い事にこう言う場合は大抵女の方が肝が座っていたりするんだけど、羽田もそうだった。あと、何と言ってもこの人が身につけていた下着は神がかっていたwまさにダサい女の代名詞みたいなオバサンパンツ一枚で性格が読めてしまう素晴らしさ。←
桃井かおりのママも、自分が失ってしまった美しさの依り代としてりりこを作り上げると言う歪んだ思いを持っている。彼女の思いを詰め込んだりりこと言うレプリカントはやがて暴走し、とんでもない事件を起こす事になるけれど、心のどこかでりりこを娘のように思っている彼女はりりこを見捨てる事はない。後輩こずえの登場で自分の足元が揺らぎ、極度の不安に襲われビルの屋上で「もうこんな仕事したくないよぉ」と泣きじゃくるりりこを諭すママはまるで本当の母親のようにも見えた。ハイヒールが苦手らしくすぐ脱いじゃう所は結構お茶目w

デパートの御曹司でりりこの恋人でもある南部(窪塚洋介)。金もあって女にももてるけど、空ろな男。「生まれた時から人生は決まっていた」と嘯きながら、与えられるものだけをふんだんに享受してきた彼はりりこに結婚を、婚約者には当たり前の夫婦生活を諦めさせる。悉く自分の人生を諦めてきた彼は、他人にもそれを強要する。「君と僕は立場ってものが違う。結婚なんて出来るはずがないだろう。でも世界で一番愛しているのは君だよ」と抜け抜けとおっしゃる。電話で淡々とそう告げる彼の横顔は見事なまでに空虚だった。
りりこの差し金で婚約者が事故にあった後二人は再会し、よりを戻すかのように見えたのだけど、人生を諦めた男の繰り言を聞いているりりこの表情はもう恋人のものではなくなっていたと思う。彼とは逆に欲しいものを全て自力で手に入れてきたりりこは何を思っていたのか。
窪塚は歌なんか歌わなくったっていい。俳優一本でやってく方が絶対いいと思うんだけどな。

ある日りりこの前に現れた後輩の吉川こずえ(水原希子)。生まれながらに全てを持っている(ように見える)彼女と対面したりりこは、激しい嫉妬と強迫観念を覚える。りりこが今まで血反吐を吐くような思いで手に入れてきて執着しているものを、「きれいだから強い」彼女はいとも簡単に具現化しているから。自分を取り巻く喧騒を覚めた目で眺めるこずえは、仕事にも人気にも執着する事はない。そういったものにはいつか終わりが来るとわかっているからだ。映画の中には時々りりこについて関係者が証言するシーンがあったけど、その中でこずえはりりこの事を「何であんなに色んなものに執着するのかわからない」みたいな事を言っていた。その一方で「モデルなら体型維持のために皆吐いてる」と言ってのけるアンバランスな一面もある。南部の婚約者だけでなく、こずえの顔まで傷つけるよう命令されカッターナイフを向ける羽田を見る彼女の目はまるで他人事のようだった。りりこが何よりも恐れたのはいずれこずえが自分の価値に気づくことだったのではと思うのだけど、こずえは全く興味持ってなかったね。

繰り返される手術。服用する薬はどんどん強くなり、りりこの意識は時に混濁するようになる。やがて幻覚まで見るようになり、彼女の精神は坂を転がり落ちるように破綻していく。
お誕生日番組での幻覚が非常にシュールで、まるで遊園地のアトラクションだなと思ったのはわたしだけかw
やがて羽田が関係各所に送りつけた資料によって、りりこが全身整形である事が暴露される。マスコミに追い詰められていく彼女は身体も精神も限界を迎えていた。クリニックに検察が入り、定期的なメンテナンスが出来なくなった身体にはみにくい痣が浮き、絶え間ない頭痛が襲う。
キンちゃん(新井浩文)に「特殊メイク」を施してもらい、記者会見の壇上に立ったりりこは、右目に自らナイフを突き立て、そのまま倒れた。赤い羽根が散るそのシーンは不思議な事に悲壮感も何も感じなかった。りりこは皆に「見たいものを見せてあげた」のだ。「もとのままのもんは目ん玉と爪と耳とアソコ」だったけれど、目が減った。自分のオリジナルな部分を捨てる事によって、彼女は生まれ変わって行くのかもしれない。

数年後のシーンはメキシコでなく、アジア(?)のどこかの国になってたけど隠微な見世物小屋と言う感じが増してよかったと思う。タイガー・リリー(=りりこ)の冒険はまだ始まったばかりだ。

画面から溢れる原色も鮮やかだったけど、沢尻エリカも艶やかな美しさでへルターの世界に溶け込んでいた。マスコミによって今もスキャンダルな立ち位置に半ば強制的に追いやられているにも関わらず、まさにその「現実」とピッタリと重なるようなりりこと言うキャラクターを躊躇なく演じ切ってみせた豪快さは評価されるべきだと思う。
あの舞台挨拶のシーンのためだけに作られたと言うATSURO TAYAMAの赤いドレスがすごくよかった。ファッション誌も実在のものを使っていたし、パルコのCMまで!一瞬一瞬が贅沢だなぁと思った。贅沢であるが故の刹那感もあちこちに存在していた。
麻田の助手である保須田久美(鈴木杏)の「どうして神様はまず私達に若さと美しさを最初に与え、そして奪うのでしょう」 と言う言葉に「きれいになったから強くなったのか、強いからきれいになり得たのか、若さは美しいが、美しさが若さではない」と答える麻田の言葉がとても印象深い。
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図書館戦争 革命のつばさ


6/17(日)に見てきました。第一週目は笠原と柴崎の女子組ポスカ配布でした。
二週目は男子組(堂上、手塚、小牧) が配布されるそうで、つい行きたくなってしまいそう。

図書館戦争、図書館内乱、図書館危機までテレビアニメ化されてましたが、今回最後の図書館革命が映画化されました。今まで出た三冊は短い話が1冊に2〜3話収録されてたけど、革命だけはまるっと一冊が一つの物語になってたせいもあるのかな。

パンフレット1Pに「今なぜ図書館戦争を映画化するのか?」と言うタイトルでイントロダクション。図書館革命の始まりは敦賀原子力発電所へのテロ未遂事件だった事や、メディア良化委員会の言語統制が東京都の青少年健全育成条例と確かに内容が時代とシンクロしている。初版は2006年だけどね、偶然と言うにはタイムリー過ぎる。時代が追いついてきてるという言葉もあったけど、悪い部分だけが目立ってる。皆が考え直すにはいいタイミングなんだろうけど。

上映時間は105分。120分越えても全然よかった。前半はほぼ原作をなぞってましたが、後半の大阪へ逃亡する辺りはかなり端折った感じがした。見終わった瞬間「もっと長くても良かったなぁ」と思ったほどです。当麻先生のおばちゃん変装には劇場内がばくしょうしていましたww皆変装シーンの映像は楽しみにしてたんじゃないかな、きっと。
原作と違う所もありましたが(イギリス大使館駆け込みのシーンとかね)楽しみにしていただけあって十分楽しめました。本と恋の極上エンタテインメント!だもんねw是非図書館外伝も映像化して欲しい!あれホント見てみたい。まえぬも沢城さんもコメントで言ってる事だし、是非!堂上夫妻のいちゃいちゃはよ!
あと、アニメと比べると、皆キャラデザインがちょっと幼い感じがした。特に堂上教官若く見えたなぁww

基本的に原作かアニメ、どっちか見てないとすんなり話に入っていけないです。まぁわざわざどっちも知らない人が見に来るとも余り思えないのだけど、これみて原作本で補完するというのもありかもしれない。(邪道かなとは思うけどね)
ところで6/24(日)にはまえぬとたつが舞台挨拶に来るらしいですね。最初はどうしようか迷っていたんですが、何せ169席しかない劇場じゃ瞬殺だったようで。ブレ10イベのライブビューイングと重なってしまったのでそっちに行く事にしたんですが、劇場自体はこぢんまりしているので、一番前の人すごく近いかもしれないよ!
有妃 | 映画、舞台 | comments(0) | -
HARRY POTTER AND THE DEATHLY HALLOWS PART II
見に行った映画館では、扉全体がハリー・ロン・ハーマイオニーの大きな写真で装飾されてました。
本当に「これで、最後。」って感じだった。

「10年」と言われて、「賢者の石」が公開されてからそんなに経ってたんだという驚きも大いにありますが、やはり感慨深いですね。3人が出ているCMで「今までありがとう」と言っているのを見ていると、確実に時は流れたのだなと思います。
役者さんたちにとっては10年同じ役をやるのは簡単なことではないし、元々主役3人は10年間同じキャストで行けるかどうかもわからないと言われてたらしいので、そういう意味ではホントによかったと思います。一度演ずる人が変わると、作品自体に入り込めなくなりそうだし、前者とどうしたって比較してしまうだろうから。(途中でダンブルドア役の俳優さんがお亡くなりになった事はありましたが)
youtubeで撮影日最後の映像を見ました。役者さんたちは勿論、スタッフの皆さん一様に感無量と言う感じでした。10年間お疲れ様でした。本当にありがとう。自分もこれほど長く1つのシリーズの映画を見続けたのは初めてでした。

この最終話だけ3D2D同時公開となったわけですが、迷わず2Dにしました(おい)普段眼鏡をかけているのにWメガネはちょっと集中できないよ…3Dで見てみたいのはせいぜいクィディッチのシーンくらいだからなぁ。



何故か秘密の部屋だけパンフレットの形が正方形っぽい。



いよいよヴォルデモートとの最終決戦。やはり、と言うか、物語はホグワーツから始まり、ホグワーツで終わる。

ヴォルデモートの分霊箱は全部で6つ。トム・マールヴォロ・リドルの日記(秘密の部屋)、マールヴォロ・ゴーントの指輪(謎のプリンス)、サラザール・スリザリンのロケット(死の秘宝機砲呂垢任貿鵬され、残すはあと3つ。その残りの3つを破壊すれば、ヴォルデモートを倒す事が出来る。
残りの1つである「ヘルガ・ハッフルパフのカップ」がグリンゴッツ銀行のレストレンジ家の金庫に保管されていると知った3人は、助け出したゴブリンとともに奪還に向かう。途中ゴブリンの裏切りに合ったものの、地下に拘束されていたドラゴンとともに無事脱出、奪還成功するが、その事はヴォルデモートにすでに知られていた。ヴォルデモートの思考を読んだハリーは、残りの分霊箱がホグワーツにあると確信し、追っ手を逃れるためにホグズミート村へ向かう。そこには亡きダンブルドアの弟アバーフォースがいて、ハリーたちを追っ手から匿ってくれた。

アバーフォースの隠れ家には、兄弟の妹で若くしてなくなったアリアナの肖像画があり、そこがホグワーツへの秘密の抜け道になっていた。アリアナの案内で奥から現れたのはネビル・ロングボトム。3人はホグワーツへの帰還を果たした。
が、友人たちと再会を喜ぶのも束の間、スネイプがハリーの帰還を知ったとジニーが知らせに来る。

ホグワーツ校長となったスネイプと再び相見えるハリー。そしてマグゴナガル先生は校長であるスネイプに敢然と立ち向かう。きっとマグゴナガル先生もホグワーツ奪還の機会を狙っていたんだろうな。分霊箱を探すと言うハリーに「城は守ります。行きなさい」ときっぱり。ここまでの一連の流れがもう、清々しいほどのカッコよさであった。そんな中で、ホグワーツ中の石の騎士を動かす魔法を使った時モリーに「この魔法、一度使ってみたかったの」と少女のように笑っていたのが何とも言えなかったw

そして、死喰い人たちを引き連れヴォルデモートがホグワーツに現れる。かくて最終決戦の幕が切って落とされた。
このホグワーツ全体を巻き込んだ戦いは、同時に多くの犠牲者を出す。ルーピン先生、ニンファドーラ・トンクス、そしてロンの兄フレッドも。双子のお兄ちゃんたち大好きだったから悲しかったな…

ルーナから「髪飾りの在り処は生きている人は知らない」と言われたハリーは、レイブンクローのゴーストである灰色のレディの元へ向かう。「ロウェナ・レイブンクローの髪飾り」の在り処を問うハリーに、灰色のレディは重要な言葉を残し、消えて行った。
一方で、「グリフィンドールの剣の代わりに、バジリスクの牙でなら分霊箱を破壊できるのでは」と思い当たったロンとハーマイオニーは秘密の部屋に向かい、ハッフルパフのカップの破壊に成功。そこで2人はお互いの思いを確かめ合った。めでたしめでたし。ロン冴えてたなぁ。秘密の部屋のパーセルタングも覚えてたなんてね。
ネビルも逞しくなってたし(ルーナが好きだ!と言った時はびっくりしたw)殺伐とした戦いの中で、みんなの成長が見られたのは嬉しかったな。

「必要の部屋」にやって来たハリーは、そこで髪飾りを見つけた。そこへ現れたのは自分の杖をハリーに奪われたドラコ・マルフォイ。駆けつけたロンとハーマイオニーも加わる。ロンが「僕のハーマイオニーに何するんだ!」と立ち向かっていくのを見てニヤニヤを押さえるのにホント苦労したw

そんな和んだ空気も束の間、クラッブの放った「悪霊の火」が暴走し部屋はあっという間に火の海に。部屋でほうきを見つけた3人はそれに乗って部屋を脱出(ドラコも一緒に)。残る分霊箱はあと1つ。

再びヴォルデモートの思考を探ったハリーは、ヴォルデモートがスネイプと湖のボート小屋にいる事、そして最後の分霊箱が蛇のナギニである事を突き止めボート小屋に向かう。ダンブルドアから奪ったニワトコの杖が自分に従おうとしないのに苛立っていたヴォルデモートは、ナギニにスネイプを殺させた。ハリーに看取られスネイプは息を引き取った。「リリーにそっくりだ」と言う言葉を遺して。

死ぬ間際のスネイプの涙。ハリーが「憂いの篩」で見たのは、スネイプの過去だった。幼い頃から母リリーと親しかったセブルス・スネイプ。2人の楽しかった頃の思い出。だが、ホグワーツに共に入学するも寮は別れてしまい、やがてリリーはジェームズ・ポッターと恋に落ちてしまう。それでもリリーへの思いを抱き続けるセブルス。そしてあの日、ポッター家へ駆けつけたセブルスは、絶命しているリリーを抱きしめ号泣する。傍には「生き残った男の子」がいた。それがハリーだった。

ハリーが入学してからのスネイプの苦悩は想像を絶するに余りある。彼にとってハリーとは「世界で一番愛した女性の子供」であり、同時に「リリーを奪った世界で一番憎い男の子供」だ。けれど、生涯を通して愛した女性のために、スネイプは自分の命を賭けてハリーを守る決心をする。その時のダンブルドアとのやりとりがまた切ない。スネイプのリリーを思う心とヴォルデモートを復活させまいとするダンブルドアの思惑が重なったとは言え、スネイプは結果的にハリーを守ると言う使命を全うした。全うはしたが、死に際に流した涙を見ては、よかったねとはとても言えない死に方だったのでは、と思う。

ハリーは薄々気づき始めていた。何故ヴォルデモートの考えている事がわかるのか。そして、ハーマイオニーも気づいていた。分霊箱は6つではなく、実は7つあったのだと。その7つ目の分霊箱とは自分自身、つまりハリー・ポッター。分霊箱である自分が死ななければ、ヴォルデモートも死なない。その事に気づいたハリーは単身死喰い人たちが潜む森へ乗り込み、ヴォルデモートの死の呪文を浴びる。

実際に死んでいたわけでは勿論なくて、様子を見に行ったナルシッサがドラコを助けてくれたハリーのために皆に死んだと嘘をついたおかげで、ホグワーツに戻れたんだけどね。
結局マルフォイ一家は、ヴォルデモートを見限ったって事かな。ハリーとヴォルデモートの一騎打ちの時はもうすでに場を離れてたからなぁ。
その一騎打ちなんだけど、結構あっさりめだったかも。戦いすんだあとはもっとあっさりで、殆ど余韻に浸ることもなかったしな。ちょっと拍子抜けしたけど、あんな大きな戦いで万事終わりよければ全てよし、とは言いきれないから、そういうもんかなと思いましたが。

で、多分一番わかりにくかったニワトコの杖の所有者は、最終的にはハリーになってた。前の所有者はドラコ・マルフォイ。ただし最初から最後までドラコはその事を知らずに終わったんだけど。

「謎のプリンス」で「武装解除の術」によってダンブルドアから杖を奪ったドラコは新たなる所有者となったものの、それが「ニワトコの杖」とは知らず、放置したまま現場を離れてしまっため、杖は結局ダンブルドアと共に埋葬されてしまった。
実際にダンブルドアを殺したのはスネイプだったけれど、ダンブルドアの死は事前に2人の間で計画されていたものだった(セブルス、頼む、と言ったのはそういう意味だったんですね)ために、スネイプは「ニワトコの杖」の新たなる所有者にはなれなかった。
「死の秘宝機廚離泪襯侫イの館でハリーはドラコから杖を奪い、同時に「ニワトコの杖」の所有権をも奪った。しかし「その時点」ではハリーもまた「ニワトコの杖」の真の所有者に自分がなっているとは全く気づいていなかった。
一方、ヴォルデモートは前の持ち主であるダンブルドアを殺したスネイプこそが「ニワトコの杖」の所有者だと思っていた。まともに使いこなせないのは、自分が真の所有者ではないからで、「ニワトコの杖」は最後の持ち主を殺した魔法使いが新たなる所有者になれる。だからスネイプが生きている限り自分はこの杖の真の所有者にはなれないのだとわかり、スネイプを殺した。けれど、ヴォルデモートも本人達も、全く与り知らぬところで所有権が移動してたと言う不思議。
まぁ結局その世界一の杖も、ハリーがへし折って谷底に捨てちゃいましたがw

そして19年後。場所はキングズ・クロス駅の9と3分の4番線。

ハリーとジニー、ロンとハーマイオニーの家族が、自分の子供達をホグワーツへ送り出そうとしていた。ハリーの視線の先にはドラコの家族もいた。ハリーとジニーの子は3人いて、上の子がハリーによく似てて、下の女の子は髪の色がジニーそっくり。今回は真ん中の男の子が新入生らしい。彼は組分け帽子がどの寮を選ぶのかとても心配していた。グリフィンドールがいい、スリザリンは嫌だと言う彼にハリーは言う。「もしスリザリンになったとしても、スリザリンはとてもいい人材を得る事になる。どうしてもグリフィンドールがよければ、組分け帽子はちゃんと配慮してくれる」と。その子の名前は「アルバス・セブルス・ポッター」。2人の偉大なる魔法使いの名を持つ。(役の子がまたイケメンだったー(おい)

端折ったという感じはしなかったものの、後半になるほどあっさりと纏められてたような感じがした。スネイプの心情とか過去をもっと掘り下げてたら、多分3時間は越えるんではないか、と思うけどね。あと、どうしてもスネイプに比重を置いた描かれ方のためにジェームスが悪者っぽくなってしまっているけど、この辺は仕方ないのかもしれないなぁ。

暇が出来たら是非また賢者の石から通して見てみたいです。(老後の楽しみにでも取っとくかw)


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